"英語が出来る友達"に、「あなたと一緒で良かった!でもどうして英語が出来るってわかったんだろうね?」って思う。
なんだろう。
旅人って、一種そう言う運と言うか嗅覚に恵まれているのかも知れない。
~『旅にはトラブルがつきものだ。騙される事も多い。
しかし、その倍、いや3倍以上、現地の人に助けられて旅を続ける事ができる。
自分を騙す人もいれば、自分を助けてくれる人もいる。
そういう旅の真実が身についているのだ。』(下川裕治 コラム)~
そんな言葉をキーに旅に出た。
知り合いの居ない土地で触れ合った人は、神様の様に感じたりする。
丁寧に向き合ってくれた時、きっと素敵な思い出のひとつになったのだろうな、って思う!
>連絡先もらうか自分の連絡先あげれば次の絆に繋がったのに!
そう言う感性こそ、まさに孤独と戦った事がある人が持ち得るのかも知れない。
そして神様を作り出す。
ロンドン編の最後に書いた「元同居人の友達」は、そんな事が出来てしまう人だった。
旅人を拾ってきた事もあるし、知らないヒトもズイブン会った。
そのおかげで、家に居ながらにして色んな人が訪れてくる賑やかな時代だった。
今回ワタシが訪れた場所に、「ハードな地域」は無く、バックパッカーと言うタイトルを付けるにはおこがましいほど、恵まれていたと思う。
それでも、しょっぱなから金目のものだけを荷物から抜かれ、2日目にはバックパックが破れ、大破と戦いながら最後まで縫って使った。帰国の便では、とうとう寝袋まで抜かれていた。
その後も、ナンパにあったり、昼間の公園で地図を見ていたら変態男のエサにされたり、、、
だけど、直接騙されたり、金銭トラブルに遭ったりは、運良く無かった。
それよりも、助けられた事の方が何倍も多かった。
小さな声かけやふれあいが、こんなにも温かいものかと思う。
食べているものや、街並み、文化が違うのに、そう言う行為(食べるとか、文化を持つとか)、人間としての根本的な事って同じなんだ、と感じる。
まるでギフトのような時間だった。
そう思う。
泊まる場所も、行く場所も決めて行かず、たくさん情けなかった。
その間、親にはどれだけ助けられ、心配をかけたか。
一番忙しい時期に休んでしまい、仕事先にはどれだけ迷惑をかけたか。
それが、色々な人に助けられて、導かれて、今ココに居る。そうとしか言えない。
それから各地で、日本を出て暮らしているお友達の、そこでの大事な人や事柄に触れて。自分の足で歩いて来た先に見つけた ひとつの形を見れた気がした。
3.11の大震災があって以来 特に「海外で暮らす」と言うと、
どうして?(日本を捨てるの?) とかって、なりがちだった気がする。
だからそれはもう理屈じゃない。"大事"を見れた事が、大事なんだ。
心から幸運を願わずには居られない。
このようにして、無事に帰ってきた果てに自分に対して感じている事といえば、
実は達成感でも安堵感でもない。
待っていたのは、孤独感だった。
なにしろ今年の6月の末になるまで、何年間も飛行機に乗れなくなっていた。
地味な努力の果てに、一大決心をして、その一度の国内旅行で飛行機に乗れたらスペインに行ってしまおうと決めた。
カミーノの道はリセットの道。けれど"リセットし終わったから"ここまで、来られたのだ、と密かに思っていた。
そのはずが、
またいつ迫ってくるか分からない暗闇への、恐怖。
本当の期待に応えられてない事を知ってる、孤独。
そんなものを抱えてしまった。
リセットもまだまだ続くのである。
そしてこの先、色んな国に出かけていくだろう後に、(周りの)世界が平和なら、
いつかあのカミーノの道の続きにも、行くのだと思う。
願わくば、いつか誰かと、
安堵を分け合いながら。
